ヘリコプターの研究
遠く紀元前の中国の竹トンボに始まって、15世紀、レオナルド・ダ・ヴィンチのスケッチ(右図。このスケッチを基にしたマークが、かつて全日空機の垂直尾翼に描かれていた)、さらには18世紀~19世紀のジョージ・ケイレイらの模型などと進められてきたが、実際パイロットを乗せローターを使って地上を離れたのは20世紀になってからの事である(かのトーマス・エジソンも燃焼の反動を利用したヘリコプターを研究したが、爆発事故が発生したため(負傷者なし)、研究を打ち切っている)。
固定翼機が登場し、ヘリコプターが実用化されるまでの間に、オートジャイロが現れ、回転翼の挙動に関する空気力学や機械工学的な知見が得られた。
1907年フランスのポール・コルニュ(Paul Cornu)が約2mの高さで20秒間のホバリングに成功した。実際に、きちんと飛行できるヘリコプターが最初に飛行したのは、ハインリッヒ・フォッケにより1937年にベルリンで開発されたFocke-Wulf Fw61である。アントン・フレットナーもヘリコプターの開発に貢献する。
ロシアから米国へ亡命したイゴーリ・シコルスキーもヘリコプターのパイオニアの一人で単ローター、尾部ローター付という、今日の反トルク・テール・ローター形式の基礎となった、VS-300を1939年に初飛行させた。これの発展型が第二次世界大戦末期に米軍で用いられたといわれる。
実際に回転翼機で垂直上昇/垂直着陸/空中静止(ホバリング)を得るには重量あたりの出力が小さいレシプロエンジンでは限界があり、軽量で高出力なガスタービンエンジンの採用を待たねばならない。飛行機の発明者オーヴィル・ライトも1936年の書簡中でヘリコプターは実用的でないとしている。
軍事目的では、英領マレー(現マレーシア)での対ゲリラ戦や朝鮮戦争から利用されているが、本格的な運用としてはベトナム戦争が初めてである。
1951年12月11日、チャールズ・カマンがカマン K-225にボーイング502ターボシャフトエンジンを搭載した。従来のレシプロエンジンに比べて大幅に向上した。1951年、カマンのK-225は世界初のガスタービンエンジン式ヘリコプターになった。この機体は現在、スミソニアン博物館に保存されている。2年後、1954年3月26日、改良型の海軍のHTK-1は飛行した初の双発タービンヘリコプターになった。しかしながら、シュド・アビアシオンのシュド・エスト SE.3130がタービンエンジンを搭載した初の量産機になった。1955年にフランスのアルウェットSE3130(Alouette II)が世界最初に量産されたガスタービンエンジンを搭載したヘリとして登場し、いくつかの世界記録を塗り替えた。これ以降、ジェット・ヘリというヘリコプターの一分野が作られてゆく。
日本では1988年6月20日〜1991年10月18日まで、シティエアリンクが羽田と成田を結ぶ路線を運航していたが、一般の飛行機に比べ騒音や運航コストが高く、航空路線としては不採算なため廃止となった。
現在では東邦航空により八丈島-御蔵島-三宅島-伊豆大島-利島の往復と、八丈島-青ヶ島の往復で東京愛らんどシャトルと名付けられた定期航路が運航されている。これが現在のところ日本で唯一の定期乗合ヘリコプター航路である。
香港とマカオではこの2点間を結ぶヘリコプターの定期航路(香港エクスプレス航空)があり、かつてこれは世界で唯一のヘリコプターによる国際線の定期航路であったが、どちらも中国に返還されたため、現在では(出入境にパスポートが必要ではあるものの)国内便として運航されている。その他、利用客の多い定期路線としてはモナコ-ニース(フランス)間やバンクーバー-ビクトリア間などがある。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
中国の竹トンボが起源だなんて考えられないですね。
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